八王寺工業株式会社の「ご挨拶」です

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ご挨拶
Greeting

当社は、創業から95年を迎え、幾多の試練を乗り越え共存共栄を経営理念とし、今日まで着実に前進してまいりました。
セメント瓦製造開始以来、ブロック、セメント二次製品、そして生コンクリートの製造販売へと展開、あらゆる建築・土木を支え続け、文化創造の一翼を担ってきたと言っても過言ではありません。

そして常に、時代のニーズにいち早く対応してきた私共は、山陽自動車道をはじめ、中国横断自動車道、主要幹線道路、及び建築物に携わり、めまぐるしい時代の流れを痛感しております。
社会のニーズが細分化され、より高度になるであろうこれからの時代、地域社会への貢献と明るい企業づくりのため、より一層の研究と挑戦を続けていく決意です。

代表取締役 長谷川 正興

コンクリート新聞 第2464号

創業100年
八王寺工業株式会社
長谷川家の歩み
history

長谷川家の由来

長谷川家は、小田郡美川村上高末(現在の矢掛町上高末)で江戸末期に車屋長谷川の屋号を持つ米屋、農林を営む家系でありました。
現社長の4代前は一度家系は途絶えますが、長谷川に縁を持つ本多の両家からとり婿とり嫁をとり、家督を継ぎました。
その長男が長一、次男毅であります。
正興社長の祖父毅は、旧制中学校を卒業後公務員に就職します。
そして第二次世界大戦になりますが戦争中に大日本土木の専務と戦友になり、日本の復興の折は耐火煉瓦が必要なことを知らされ、全国で取引をする約束を取り付けました。

戦後、帰国した長男長一と岡山県で耐火煉瓦の会社を探しましたが手頃の会社がなく、手頃のセメント瓦工場の八王寺工業株式会社を購入しました。
長男長一が資金を調達して、購入しました。
当時の株主に総社市衆議院議員山崎氏も株主であったと聞いてます。
会社経営が軌道にのり本家は米屋農林の仕事があるので次男毅に会社を譲りました。
株式会社1000万を長谷川家の信用で調達をしました。今の貨幣価値で試算すると1億円に相当します。

八王寺工業株式会社は、諏訪家が2代つづき長谷川長一、毅、広海、正興とつづき6代目創業100年を迎えました。
昭和3年操業して岡山市、倉敷市で4工場ありましたが、1時期は1工場になり毅が倉敷市酒津、米子市、倉吉市、新見市で4工場になりましたが、商品の停滞から空洞ブロックコンクリート二次製品、生コン工場と商品が変化して現在は、米子工場、境港工場、倉敷真備工場の3工場、米子工場、境港工場を集約して、事業所としては、倉敷真備工場、境港事業所の2か所で営業しております。

6代目正興母方の由来

6代目正興社長の母方は都窪郡清音村(現在の総社市清音)であります。
高祖父常七は当時清音村の助役を務めていました。

高祖父の時代から材木屋を営み祖父叔父神社柳吉は材木屋では生計が営むことができないと考え人生50年しか生きられない時代に30歳から京大法学部を金時計を取得し卒業後、台湾国の自治省を務めて当時では珍しく大原孫三郎にヘッドハンティングを受けてクラボウ社長に就任します。

その娘婿に工藤常吉 岡山土地倉庫の社長がいました。
岡山商工会議所会頭を務めてました。
その系譜は岡山トヨペットの末永家につながります。

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